設立趣旨:難民に関する問題提起と「難民研究フォーラム」の意義

本間 浩 (難民研究フォーラム 座長)
 多くの諸国において人権思想の普及が説かれてはいるものの、国によっては権力的弾圧の下に数多くの人々の人権が侵害され続けている。この状態は、現在なお世界各地域で見られる。しかもその弾圧は、「常人ならば誰しも苦痛に感じ」、または人間としての尊厳性を喪失させ、まさに「迫害」に相当するほどにしばしば過酷である。そのような状況下に居たたまれず多くの人々が自国から脱出して他国に難民として流入し、または自国内の、少しでも安全な地域を求めて転々と移動する国内避難民として何とか命を繋ぎとめる。これらの人々の救済は、自国内の、原因解消に繋がる体制改善が実現されない限り、国際社会に依らざるを得ない。


 しかし、国際社会では、自国を越えて他国に到達した難民の保護が、先ずは難民流入の当該他国だけの責任に委ねられることが原則である。第三国への難民の定住受け入れという方法によって別の国による受け入れが認められることがあるにしても、必ずしも常に、いずれの諸国によっても第三国定住受け入れが認められるようにはなっていない。国際社会一般においては、難民保護に関する各国間での、負担の国際的分与(international burden sharing)の原則は確立されていない。主権国家の並存という国際社会の基本的枠組みは、各国が国益を優先させて、難民の大量流入による負担に喘いでいる当該他国の状況に目を瞑るには真に都合の好い原則である。
 また、主権国家原理に直接由来する他国に対する独立性という原則、いいかえれば内政不干渉の原則は、支配側勢力が、国内に留まらざるを得ない国内避難民に対する国連機関や他国からの支援を拒絶し、さらに国内的武力紛争の停止および紛争の原因解消に向けての外からの働きかけを無視し、または拒否するための口実に利用するにも、便宜的である。
 
 それどころか、経済のグローバル化の下で、国家間および国内での貧富の格差がいっそう拡大されているが、富める側の国が国家間での経済格差を温存し、またはいっそう拡大するのにも、主権国家原理は支柱の一本になっている。しかも、国全体として経済的貧困にある諸国では、政治的権力者個人または極めて限られた支配層が、富を暴力的に独占している。難民流出や国内避難民の強いられた移動の原因が、乏しい富の掌握または分配をめぐっての民族間、宗教宗派間の権力的・武力的な対立からしばしば発していることを顧みれば、主権国家の並存という原理的枠組みに因る制約条件の下で、強いられた移動という結果を招く根本原因である極端な経済的貧困に、国際社会としてどう対処できるのか。私たちはこの課題に対する手がかりを未だ見出せずにいる。
 主権国家原理に発するこれらの制約条件という基盤の上に立ちながらも、難民保護への私たちの関心の一端が、国際難民保護制度の発祥時に唱えられた人道主義に基づいていることは今もなお変わりない。しかし、今や、難民問題への関心はそれだけではすまない。この点に関して、難民問題に対する私たちの関心の中に、今なお淀んでいる朦朧とした感覚から、意識を画然と覚醒させる手がかりが、日本国憲法前文に提示されている。すなわち、私たちは「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」することを誓っている。「恐怖と欠乏」から逃れようとする人々を保護することは、単に人道主義に基づくばかりではなく、私たち一人ひとりの規範であることを、憲法の前文を通じて誓っているのである。しかも、自国民ばかりではなく世界各国の人々が「恐怖と欠乏」を脱して平和的に生存する権利を有することを、私たちは自覚し、それゆえにまた、「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」という文言を通じて国際社会に対して積極的な貢献を果たす姿勢を示しているのである。この誓いの積極的意味に目を向けられることは、残念ながら実際にはほとんどなく、研究レベルにおいてさえその意味は忘れられている。
 しかし、この誓いは、難民問題についてこそ積極的な関わりをもち得る。
 この観点から難民問題への関心を展開すれば、第1に、自国においての「恐怖と欠乏」から生存が脅かされるために日本国に逃れてきた難民を保護することは、私たちの憲法上の責務に関わる。第2に、私たちの問題関心は、日本国に到達した難民の保護の問題に留まってはならないのであって、他国にいる難民および国内避難民の保護の問題にも広げられなければならない。第3に、難民または国内避難民にならざるを得ない原因として、自由権に対する侵害のおそれに着目しなければならない。さらにこの面だけに留まらずに、極度の経済的貧困または国内的武力紛争のために生存が危うくされる状態が人々の移動を強いる原因になることにも、私たちは関心の目を向けなければならない。
 このような問題関心から、難民保護における問題点を指摘することができる。例えば、従来から指摘されている一つは、難民認定手続に関連して難民認定申請者の申請提出後の生活に対する配慮のあり方である。ほとんど、といえるほど多くの申請者が不法入国または不法在留の理由で、出入国管理上違法状態にあるが、申請者の法的地位に関わる管理施策は、出入国管理という限定された観点のみからではなく、人間としての人格の保持という観点からも設定されなければならない。
 また、難民認定手続に関しても、時々刻々と変化する可能性のある申請者の本国事情の中でも、同国内の、とりわけ関連地域に関する情報の把握が不可欠である。このような国内地域に関する情報は、在外公館を通じてもその把握が容易ではない。この点でも地域研究(area studies)による情報把握への寄与が期待される。同様に、必要とされる関連国内地域情報の把握のための作業が、地域研究への新たな刺激を生み出す可能性も考えられる。
 さらに、申請者の心理状態の把握方法および、その心理状態に対する評価を難民認定手続に挿入する方法を確立することも、不可欠な課題である。
 そのうえ、難民の社会的受け入れに関しては、爾後における国籍付与や永住権付与など、身分の確定についての法政策上の考慮だけではなく、異文化共生を目指して異文化間共鳴を可能にするような人類学的検討も必要となる。
 最後に、難民または国内避難民として移動を強いられた原因の解明とその原因の解消策の検討は、必須の課題である。解消策の検討には、主権国家原理という壁と向き合いながらもそれを乗り越え得るような考思が必要とされる。その考察には、政治的および経済的諸側面、歴史的および文化的側面など諸々の側面からの分析と、それを土台にして原因解消のための構想に収斂していく着想力が要求される。
 難民問題については、このように多様な側面からの考察が必要である。それにもかかわらず、わが国では、主として法的側面からの考究が先行してきた。というのも、とりわけ難民認定手続にいくつもの障壁があり、それらをこじ開けるための理論的ドリルという役割を法学が担ったからである。
 ただし、法的側面以外の個別の側面においても、注目されるべき研究報告は散見されていた。ところが、それらの諸側面を孤立させたままの状態が続き、各側面における考究を結びつけ、関連付けるための社会的仕組みが構築されていなかった。このような実状の下で、難民問題に関する研究レベルでの関心は、学際的に大きく広がることはなかった。研究レベルでのこの状況に対して、学際的な結び付けの必要性を感じせしめるようになったのは、難民認定申請者や難民に対して支援活動を実践的に積み上げてきたNGO・NPOの実務経験に因るところが大きい。
 しかも、現時点での見通しでは、溌剌とし新鮮な考察が生み出される、という予測の胎動が感じられるようになってきている、とはいうものの、その手応えは未だ微かである。そのような考察が難民問題研究の表面に大きく躍動するようになっていない。それどころか、その先細りの危惧さえも伏在している。このような消極性を招く要因は何か。学生・院生レベルでは難民問題に関心を抱く者は少なくないことを見れば、研究レベルになると難民問題研究に傾倒する者が少なくなるのは、不可解に思える。
 私はこう考える。その要因は、難民問題に関する社会的関心が高まっていないことにある。社会の側の需要が乏しいから、研究レベルの供給が高まらず、結果として研究レベル全体の活性化が生まれないままできた。先に述べたような憲法上の私たちの誓いを忘却していることの結果でもある。しかし、世界各地から難民認定申請者が、桁を越えるほどの数でわが国にたどり着くようになり、また政府が第三国定住受け入れの門戸を広げる姿勢を示すようになって、もはや従来のような消極的状態のままであってはならないし、そのままではいられなくなっている。
 もう一つの要因として、難民問題研究を継続的に支え、時には研究面での刺激を与える常設的な仕組みが、社会に構築されていなかったからではないか、と考える。これまでにも研究者、弁護士中心の研究会が創られ、故高野雄一東京大学教授、その後には宮崎繁樹前明治大学総長を代表にして活発な研究発表と討議の機会がかなりの頻度でもたれた。日本平和学会にも分科会の形で研究報告の機会が設けられている。しかし、それらの会は、常設的かつ組織的な組立をもつものでなかった。このような状況は、とりわけ若手の研究者が難民問題研究の持続に確信をもてず、研究への熱意を冷めさせてしまう要因の一つになっていたのかもしれない。
 そこで、私たちが設立する「難民研究フォーラム(以下「フォーラム」)」は、わが国における難民問題研究を下支えすることを意図し、具体的には先ず、研究会の開催および研究論文集の発行などを通じて、難民問題に関する研究成果の公表や研究論文の投稿の機会を用意する。将来、財源上の可能性が生まれれば、若手研究者への研究助成も行いたい。
 また難民問題に関する諸側面での考究を学際的に結びつけるきっかけを提供しようとしている。そこでは、各側面での考究の学際的交流において、それぞれの側面での考察を発表したままに終わらせることなく、その交流によって各側面での考究の独自性を摩滅するのでもない。それどころか、他の側面での考究を知ることによって自らの知見を再確認し、さらにいっそう拡充し、自らの考究の独自性の場を広げる結果を導く誘因が生まれることを願っている。むしろ、相互の独自性を確保しつつ、例えば脳神経細胞から伸びる複数のシナプス間の結合により新たな脳活動分野が増えるのに似て、異なる側面での考究間の交流によって難民問題研究の新たな分野や方法が生まれることが期待される。それには、考究の学際的交流において考察上のフィードバックも各自取り込んで、学際的交流を有機的に作用するものにする、という研究者相互間の了解が前提となる。
 また、「フォーラム」は、難民問題に関する研究それ自体およびそれらの間の学際的交流を下支えするだけではなく、「フォーラム」自らが、内外の難民保護に関する調査・研究に乗り出し、その成果を「フォーラム」の利用者を含む社会一般の利用に資するようにする。その目的のために、国際会議への参加、現地調査のための派遣、その成果としての研究や調査報告を発表する。
 さらに「フォーラム」では、難民問題に関連する内外の情報を収集して、難民問題に関わる研究者、立法、行政、司法の関係者、弁護士など法律実務に携わる関係者、難民・難民認定申請者自身、ジャーナリズム関係者など広い範囲の関係者が、それらの情報にアクセスできるように、情報発信の整備をすることを目指す。資料コーナーや閲覧スペースの必要性も痛感しているが、現状においては、資力も場所も人材も限られていることから、こうしたサービスを直ちに十分に実現できる状況にはない。それでもなお、情報の利用を求める者が、少なくとも情報のリンクに接続することができるように、「フォーラム」では用意したい。とりわけ、海外の関係者との連携を確立し、当該者とのネットワークを構築する。
 現段階での上記のような限界を棚上げして、情報の重要性に目を向ければ、すでに触れたように、難民認定手続では出身国の、とりわけ国内地域情報は欠かせない。この点で、地域研究を担っている専門家および専門機関からの協力を要請し、またそれらとの連携を深める必要がある。そのための前提として、内外の専門家および専門機関とのネットワークを普段から築いておくようにする。
 特に、諸外国の判例において、難民条約上の難民概念の運用に、国際人権法の進展に沿わせる見方がとられ、また難民条約上の難民概念の解釈上拷問等禁止条約上のノン・ルフルマン原則や国際刑事裁判所規程上の迫害概念規定による影響を取り込む、というように、難民概念の運用を、難民条約より後発の国際条約上の原則規定やその運用に対応させる見方が表されている。それだけではない。無差別テロ行為の強制を拒否して逃亡してきた者を難民と認定するという例に見られるように、無差別テロを「国連の目的と原則」に違反する行為と看做して、そのような行為の強制から個人を護ることを難民条約上の難民保護の目的の範囲に加える、という見方さえ表されている。従来、わが国の判例では、難民概念について頑なな解釈が下されることがあっただけに、諸外国の判例における難民概念の運用についてのこれらの新しい動向は、真に注目に値する。このように重要な外国の判例について情報を集積して、利用者のアクセスに資するようにしたい。
 難民認定申請者に対する処遇や生活支援、並びに難民認定を受けた者および第三国定住を認められた難民に対する社会的受け入れには、多面的な情報が必要である。難民受け入れの歴史のある諸国には、それに関する経験についての報告が集積している。それらの報告のリンクにも利用者がアクセスし得るように、情報を整理する。
 その他、難民問題研究に関する外国の、注目に値する論文や著書に関する情報や、外国における難民状況に関する報告の情報も提供していく。これらの情報への、ネットを通じてのアクセスの便宜供与に留まらずに、その邦訳についても、余裕があれば検討したい。とりわけUNHCRの基本的な資料で翻訳されていないものについては、できるだけ邦訳する。
 「フォーラム」の活動に対して、難民問題に多様な側面で関わる研究者、弁護士を含む法律実務家、国の立法、行政、司法の関係者や自治体機関関係者、難民・難民認定申請者、ジャーナリズム関係者など広範囲の方々の参加と協力を熱望している。

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